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平和の木を育てよう-被爆樹木- ブログ


2023.05.11  ノルウェーで被爆樹木を伝える活動をされている中英公子さん


ノルウェー在住のランドスケープアーキテクト・中英公子(なか えくこ)さんは、昨年ANTでインターンをしたご子息のケビンさんと共に、被爆樹木について研究し、ノルウェーで伝える活動をしていらっしゃいます。5月に被爆樹木の研究のために5日間広島へ滞在し、9日・10日・11日にはANTを訪問され、被爆樹木に関わる様々な人に出会われました。この度の広島滞在最終日に、中さんが、ご自身のことや被爆樹木との出会い・活動についてANTへ文章を寄せてくださいましたのでご紹介します。

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私はノルウェー在住24年のランドスケープアーキテクトです。都市計画、集合住宅や病院・医療施設の屋外空間や園庭・校庭、公園緑地などのデザイン・設計に長年携わってきました。近年は多分野のエンジニアたちと共に自転車専用の高速道路や都市間のバスルートネットワークなどの大型都市インフラの設計に携わることが多いです。本業と並行してかれこれ8年ほど、被爆樹木をアプローチとしたランドスケープデザインの在り方をノルウェーで模索しています。

2015年春にノルウェーの都市計画家や造園家の視察旅行を遂行した際、被爆樹木の樹形異常と爆心地との空間関係などについて調査をしていた筑波大学の恩師、鈴木雅和先生の勧めで広島を訪れ、被爆樹木、ANTの皆さん、堀口さんに初めて出会いました。この出会いがきっかけとなり、2017年ICANへのノーベル平和賞受賞に伴い、被爆樹木の種をオスロ大学植物園に届けることができました。厳かで大変意義のある種セレモニーだったと思います。しかし、同時に種を受け取ったり苗を植えたりするだけでは、被爆樹木2世が運ぶ母の樹のメッセージが伝わらないことに気づかされ、敬意と尊厳を以てどのように2世を生かしていけばいいのかという模索と試行錯誤が始まりました。転機が訪れたのがコロナ禍真っ最中の2020年暮れ。当時14歳(中2)だった長男が通う中学校の国際協力という選択授業で被爆樹木をアプローチにした国際協力や平和教育のシリーズ授業を展開することになり、広島の朋子さん、東京の恩師、オスロの樹木医とオスロ大学副学長(国際政治の専門家)、スタバンゲルの中学校、そしてこの中学校のフレンドシップ校のイスラエルの高校という3か国5都市の若者、教育者、専門家たちをオンラインで結びました。被爆樹木を通して、年齢や信仰や性別など関係なく、ユニバーサルに大切なありとあらゆることを語り合え、議論し合えることができるということを身を持って体験しました。このパイロット授業を封切に、以来、小学校や大学でも授業やセミナーを開いてきました。そうこうするうちに、オスロ大学植物園の温室ではクロガネモチや柿の幼木がすくすくと育っていき、受け入れ先を探していたところ、私たちが住んでいる南西部のスタバンゲル市の植物園が苗木の受け入れを承諾してくださり、この5月に数鉢がオスロから届けられます。

これから1年かけて新しい場所での気候や環境に慣らし、来年正式にお披露目をします。このお披露目で被爆樹木に関するセミナーやワークショップを行うとともに、スタバンゲル在住の写真芸術家の友人と一緒に屋外写真展を計画しています。

被爆樹木の無言のメッセージを伝える方法としてアートが適しているというのはずっと考えていたことで、今回いよいよそれを試してみる機会を得ました。

2022年にグリーンレガシーヒロシマのハブとなったオスロ大学植物園にとっては、ハブとしての初めての活動です。私にとっては、植樹、ランドスケープデザイン、教育/アクションプロラム、末永く管理していける持続可能なサポートシステムの提案を組み合わせ、これまでの体験と知恵とアイデアを詰め込んだプロトタイプを作り、社会的インパクトを測るための実践プロジェクトでもあります。

今回、夫と息子2人をノルウェーに留守番に残して5月5日から17日の強行軍で一人帰国し、滞在期間の半分を広島で過ごしました。連日見事な五月晴れで日中は気温が26度ほどまで上がる中、ANTで自転車を借りて終日外にいたため、日焼け止めを塗ってもあっという間に日焼けしましたが、市中心部の地理や距離感などが身に付きました。

被爆樹木は160本の木の散在ではなく、160本の記憶の集合体だと考えています。生きたフィールドメモリアルとして他の樹木と一緒に街の日常風景を成している様子や実態を今回ちゃんと体感してこれたと思っています。

来年の展覧会とセミナーをキュレーションするためのアイデアや材料をたくさん集めることができました。

また、5月11日にはニュージーランドから来られたシェリー・エゴツ先生ご夫妻を広島でお迎えしました。シェリー先生はノルウェー生命科学大学教授として勤務されておられた時、ランドスケープデモクラシー研究所を設立され、この新分野における世界的なパイオニアです。昨秋に長男とオスロの樹木医と一緒に作った同大学での被爆樹木セミナーに、リタイア後に戻られたニュージーランドからオンライン参加され、大変感銘を受けたので広島で会いたいというお問い合わせを年明けにいただき、今回それが叶いました。ANTの久仁子さんのコーディネートで、叶さんによる平和記念資料館と追悼祈念館のご案内、樹木医の堀口さんによる広島城跡と基町の被爆樹木の解説を軸に据えた充実のプログラムでした。ANT事務所で広島焼の昼食を一緒に食べたり、入れ替わり立ち替わりいろいろな人が出入りし活気に満ちたオフィスの雰囲気に触れたり、夕食は居酒屋でタケノコやわらびなど季節のお惣菜や熱燗に舌鼓を打つなど、広島でのおもてなしに大変感動されておられました。シェリー先生のご主人は家具デザイナー/職人で、木材や日本の木細工への関心が深く、資料館の展示や被爆樹木のお話も一字一句もらさずキャッチしようという好奇心、感性豊かな方でした。シェリー先生は街づくりがご専門だったこともあり、地域の人々との活発な交流やネットワークの要になっているANTの活動に大変共感しておられました。お二人とも実はご出身はイスラエルです。ホロコーストによる被害者や残酷な歴史を記録したり記念したりするメモリアルは怒り、痛み、憎しみに満ちているのに対し、広島のメモリアルが愛と平和に満ちているのはどうしてなのかと考え込んでおられました。私は、その大きな理由として、様々な人たちとの交流とホスピタリティがあると思います。今回、マーシャルから来られたエヴェリンさんのお別れ会に急遽参加させていただき、関係者ではなかったのに全くそれを感じないばかりか、新しいお友達ができました。インターンの聡明な若者たちのピュアな視点、絶妙なタイミングでお茶とお菓子を出してくださるスタッフの方々の細やかなお心遣い、経験と知恵と知識を惜しみなく開放し根気よくおつきあいくださるベテラン陣の尊いお人柄。皆さんとの出会いこそが何よりの宝物です。

被爆樹木2世の生かし方はこれからもずっと模索が続くテーマです。

シェリー先生にもアンビシャスにどんどん頑張れと応援をいただきました。

また広島で皆さんにお会いできる日を楽しみにしています。

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